どんなお祭り? おんべ鯛奉納祭
  • 伊勢神宮で鯛を運ぶ一団
    伊勢神宮で鯛を運ぶ一団

おんべ鯛奉納祭とは、塩漬けにした鯛を毎年決まった数だけ伊勢神宮に奉納する祭礼です。「おんべ鯛」は1000年以上の長きに渡り続いていると伝えられており、起源が明らかでないほど深い歴史を持つ行事です。篠島では島民をあげてこの伝統を守っていくため平成10年から漁港でお祭りを催すことになりました。おんべ鯛の伝統を通じて、伊勢神宮との深い関わりを持つ篠島の島民は自分たちが神の島に住んでいるという高い意識を持っています。

おんべ鯛の本祭は10月ですが、鯛の奉納は6月、10月、12月の3回に分けて行われます。現在、鯛の調達は篠島漁業協同組合に委託されていますが、6月は一尺五寸の鯛を28匹、一尺二寸の鯛を50匹…というように、時期によって奉納する鯛のサイズ・数量が決められているため、篠島の漁師達は奉納にあわせて鯛の調達に奔走することになります。豊漁の年はともかく、不漁の年であっても奉納する鯛の数は変わらないので漁師達は大変な苦労をして鯛を調達するのです。

おんべ鯛の奉納数

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鯛の加工 おんべ鯛奉納祭
  • 冷たい海水で鯛の身を締める
    冷たい海水で鯛の身を締める

調達された鯛は、篠島の北にある中手島(なかてじま)の調製所で塩漬けに加工されます。中手島はもともと伊勢神宮領の離れ小島でしたが1974年の埋め立てで篠島と陸続きになりました。しかし陸続きとなった今でもこの島は伊勢神宮が所有・管理しています。鯛の加工に使われる包丁や、加工の際に男達が身に纏う白装束は、すべて伊勢神宮から贈られた品です。鯛の加工はこれらの道具を使って行われます。

加工は鯛を絞めることから始まります。専用の道具で素早く鯛を絞め、すぐに冷たい海水に漬けておきます。神様へお供えする鯛なので、極力血が流れないようにするための工夫です。中手島の海岸で鯛の臓物をきれいに取り除き、海水でこれを洗います。6月は比較的水温もあたたかいですが、10月・12月の作業は、冷たい海水との戦いでもあります。海水で身を洗った鯛には手のひらにいっぱいの塩を塗り込み、樽に詰め込んで重しを乗せ、中手島に建てられた保管所でおよそ10日間、静かに寝かせておきます。樽から出した鯛は再び海岸に運ばれ海水で塩を落とします。これを天日で2日干した物を「おんべ鯛」として伊勢神宮に奉納するのです。

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伊勢神宮との関わり おんべ鯛奉納祭
  • 伊勢神宮から賜った太一御用旗
    伊勢神宮から賜った太一御用旗

6月・10月・12月と、毎年3度、伊勢に鯛を奉納しますが、中でも特に10月は、伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)にあわせて唐櫃に詰めた鯛を漁船に積み込み、船団を率いて伊勢を訪れるとあって、伊勢で大変な歓迎を受けることになります。伊勢の神社港(かみやしろこう)には多くの人が集まり「ようこそ伊勢へ」の横断幕が立てられ、地元の小学生から伝統芸能である木遣りや子どもたちの踊りなどの歓迎を受けます。これだけの手厚い歓迎を受けるのは「おんべ鯛」が伊勢神宮からの依頼に基づいて行われているからです。また歓迎を受けた篠島の島民も、そのお礼として神社港の人たちに餅投げをして、もてなしを返します。

おんべ鯛の船団には伊勢神宮から与えられた「太一御用旗」が掲げられています。「太一」とは伊勢神宮に祀られている天照大神(アマテラスオオミカミ)のこと。つまり太一御用とは「アマテラスへのお遣い事である」ということを指しているのです。

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篠島でのお祭り おんべ鯛奉納祭
  • 漁港のステージで踊る子どもたち
    漁港のステージで踊る子どもたち

「おんべ鯛奉納祭」はあくまで伊勢に鯛を奉納する行事ですが、10月の船団を見送る篠島漁港でもやはり盛大なイベントが執り行われます。唐櫃に入ったおんべ鯛は地元小学生の吹奏楽演奏に見送られながら船に積み込まれ、島民の大きな歓声を受けて伊勢へと送り出されます。船団を見送った篠島漁港では、様々な出店や特設ステージで歌謡ショーや小中学生による演舞、地元婦人会の踊りなどのイベントが展開されます。また伊勢へと向かった船団が帰港すると、漁船に乗っていた宮司さんが中心となり、篠島漁港に組まれたやぐらで餅投げが行われます。この時に使われる餅は伊勢神宮でお払いを受けた物も使われます。

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「おんべ鯛」の由来 おんべ鯛奉納祭
  • 石橋区長
    石橋区長

おんべ鯛の起源がどのような物であったか、何年前から続いているのか、これらには様々な説があり定かにはなっていません。ここではおんべ鯛の由来について篠島の石橋区長のお話しを紹介します。

【石橋区長】

おんべ鯛については、「皇太神宮年中行事」では1192年伊勢神宮に天照大神を祀った倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が、篠島に立ち寄った際、この地で獲れる鯛をとても気に入り、御贄所(おんにえどころ/伊勢神宮に食べ物を奉納するよう指示された場所)と定められ、伊勢神宮に奉納することになったと伝わっています。これらの伝承を伝える書物もすでに原本が失われいて、写本による記録なのでどこまで正確な情報なのかは知る由もありませんが…。

おんべ鯛の奉納は1000年以上続く伝統ある行事ではありますが、一時はダンボールに入れた鯛を定期船で伊勢神宮へ運ぶという、質素なやりとりを続けていたこともあります。伊勢神宮から唐櫃に入れて漁船で運ぶという、昔ながらの方法を復活させないかという提案を受け、伊勢の神社港へ直接運び込むようにしたのです。この事は神社港の人たちにも随分喜ばれました。今、神社港で盛大な歓迎を受けているのも、このような背景があったからなのです。

伊勢神宮から与えられた「太一御用旗」は伊勢神宮にまつわる特別なお遣いだということを現す印です。これを与えられているのは、全国でも数えるほどしかありません。この旗を掲げていることで、伊勢で特別な便宜がはかられるということです。

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伝統の継承 おんべ鯛奉納祭
  • 木下さん
    木下さん
  • 冬の海で鯛を加工する木下さん
    冬の海で鯛を加工する木下さん
  • 漁業組合の若者たちも加工に参加している
    漁業協同組合の若者たちも加工に参加している

1000年以上の長きに渡って篠島に受け継がれている「おんべ鯛」の行事。この祭礼に関わる島の人たちは、この事をどう考えているのか。現在のおんべ鯛奉納祭で中心的な役割を担っている、篠島漁業協同組合の木下さんにお話をうかがった。

Q)おんべ鯛の伝統は、先代からどんな形で伝わってきたのですか。

【木下さん】

基本的には、見よう見まねだね。カンタンな説明はあったが、細かい手順は見て覚えてきました。初めておんべ鯛の行事に参加したのは10代の頃。それから20代の頃までは「やらされている」「仕方なくやる」という気持ちもありましたが、30歳を過ぎた頃から「伊勢神宮にご奉仕しなければ」という思いがわき上がってきました。

Q)おんべ鯛という行事についてどのような思いを抱かれていますか。

【木下さん】

かなりの重圧を感じています。鯛が捕れない年もあれば、天日で干せないような気候の年もある。それでも決まった数の鯛を集めなければならないし、絶対に干して持っていかなければならない。様々な障害をクリアして伊勢に鯛を奉納出来たときの達成感・安堵感は他の人にはわからないと思う。それを毎年感じています。

Q)先代の方たちから「おんべ鯛」について、どんな話を聞かされていましたか。

【木下さん】

伊勢神宮も鳥羽のアワビと篠島の鯛が主たるお供え物であると言ってくださっている。だからこそ、プライドや誇りを持って自分達が伊勢に鯛を奉納する、しなければならないと教えられてきました。

Q)若手の方、後進の方にはその思いは伝わっていますか。

【木下さん】

なかなか気持ちが伝わらない面もあります。ただこればかりは、自分たちが手本を示して、実際に体験してもらいながら感じてもらうしかない。言葉では教えられないこともあるが、自分たちの姿を見ていてくれれば、いずれはわかってくれると思う。そこは信頼していますよ。

Q)この祭礼で一番大切にしていることは何ですか。

【木下さん】

伊勢神宮…つまり天照大神に仕える、そのためにやっている。またこの行事を通じて篠島の伝統を守り、文化を伝承していければ嬉しいですね。観光客の方にも、おんべ鯛の祭礼をきっかけに、もっと篠島のことに興味もってもらいたいと思っています。

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祭礼DATA おんべ鯛奉納祭
  • 伊勢へと出航する前の篠島漁港でのお祓い
    伊勢へと出航する前の篠島漁港でのお祓い
項目内容
実施日毎年10月12日
観光の見所漁港から伊勢を目指す船団、漁港の賑わい、中手島、伊勢の神社港・伊勢神宮
注意事項伊勢への船団に乗船することはできません
鯛の調製は事前に実施されているので、当日見ることはできません

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